NHK大河ドラマ「八重の桜」第24回「二本松少年隊の悲劇」

ちょっと!本気ですか!ほんとにやるんですか?年端もいかない少年たちを・・・できるんですか?大山様!っていうか西郷様!っていうか板垣様!ねえっ!そればっかりはいっくら何でも、そもそも天子様だって、自分の名のもとにそんな事をして欲しいとおっしゃいましたか、天子様は?いかに大義のためとはいえ、弱い者をかさにかかって虐殺するようなそんなアレは・・・止めてよおおおおうううっ!おおおんおんおん・・・

慶応四年三月奥羽鎮撫隊が東北蹂躙。世良修造様暗殺によりのっぴきならない事態になって、白河の関が落ちて万事休すの会津藩。そんな中、覚馬兄様がみつけたたった一つのできる事とはすなわち、意見書執筆でした!今後の日本のために意見書を口述筆記・・・牢内からはうるさいと苦情勃発、牢番は覚馬兄様の意見書をひっちゃぶいていやがらせ!実に効率の悪い業務ではございますけど、それしかない!と思い込んだら命懸け!破られても破られてもなお語り続ける心なり~。覚馬兄様、根性がより座ってきた感じです。
 静岡県知事選の速報が入っちゃうのはやっぱりちょっと興醒めですよねええ・・・

 八重様が仕込んできた少年たちのうち、悌次郎様は白虎隊にはれて入隊決定!おめでたい!そして盛之輔様もお城に上がる?取り残された感の山川健次郎様は理論派の様相。体作りは俵担ぎだと八重様!担いで見せた!いやいやいやいや、これならやっぱり八重様役にはもっとこう、恰幅の良い女子を登用される方が良かったような・・・。
 尚之助様が城下の鍛治職人たちに鉄砲修理の講習をするのに健次郎様も同行される模様。それぞれに懸命に枝葉を伸ばす若い樹木です。・・・まあこの後の運命を考えますと、実に皮肉っていうか、八重様が鉄砲なんか教えなければみたいなアレも心に浮かんでしまいます今日この頃・・・。

 官軍では、大山様の所に土佐の板垣様が合流されまして意気揚々。白河を落として攻め込む官軍、VS、白河を奪還せんとする会津軍。大蔵様が司令官の日光口がしぶとく持ちこたえてる!まだまだ抵抗する会津勢でございます。が、あげえ粗末な鉄砲や大砲には負け申さんと言われ放題ですよ会津軍!二本松まで進んだら会津は目の前だとおっしゃる。猪苗代湖を迂回するなら必ずとおる交通の要所なんだとか。

 猪苗代湖で演習をする新撰組&白虎隊の面々。新撰組とはそもそも会津に昔からある隊の名前なんですって。今にして思う会津の恩。土方様も斉藤様もちょっとほのぼの・・・若輩者の白虎隊の健気な様子を見るにつけさらにほのぼの・・・
 ですが、新選組の加勢をもってしても白河奪還はならず!しかも棚倉が落ちた!傷心の頼母様。官軍はもう肝心要の二本松に迫る勢いで、こうなりますと会津への物流が抑えられてしまう訳で浮足立ってます!会津本陣に取って返して、またも容保様に停戦・・って言うか白旗揚げての降伏を上申してますが、容保様以下重臣の皆様は断固否!だってそれにはお歴々の首を差し出すのが最低限の条件なのでしょう?それはやっぱり・・・無理・・・(汗)
 戦うほがに道はなしとの土佐様のお言葉、しかし官軍の最新式の武器の前にはいっくら精神論を掲げようとも蟷螂の斧。んだがらもっと早ぐ京を引き上げでいればあああ・・・と、言わなくても良い事を言っちまったあ頼母様。またも任を解かれて冷や飯生活逆戻りなり~。
 このシーン、やけにB作様の土佐様がいきり立ってらっしゃいましたねええ。こういう演技もアリなんだって再認識させていただきましたよ、B作様。

 戦で壊れた銃の修理をする面々。尚之助様、八重様以下のお仲間たち。火薬の調合がそもそも古臭いと看破した健次郎様。じゃあそこを変えたらまだ勝機があるの!?・・・ってのは気休めにしても、健次郎様の研究熱心に俄かにスポット当たって好印象。ここに同席されていた慎吾ちゃんの権兵衛ご家老!まじめにシリアスな演技もイイじゃないの!こんなに役者だったんですか慎吾ちゃん様!いやあ、再認識させていただきましたよおおお!いやいや、ようやく慎吾ちゃんのキャスティングの妙が身に染みて得心いたしました~~~。
 え、こんなところにバッドニュース!アレン!秋田藩も官軍に占領されちゃった?情勢悪化の一途の下り坂。会津はサンドイッチの両面攻撃にさらされて・・・こうなると危ないのは先ほどから話題の二本松藩?二本松ったらいつぞや八重様と尚之助様が諸国漫遊で鉄砲指南で縁起達磨まで差し上げたあの少年のいるところでしょう!!いやあ・・・こんなことになるなら教えないほうが良かったんじゃないかしら、八重様。
 鉄砲を教えたことがあだになるかと若先生。背中の刀を自分で抜くことさえできないちっちゃなちっちゃな兵隊さん様たち!お互いにお辞儀して刀を抜きあいましょう見たいなのが・・痛々しくって痛々しくってええええ!

 新政府の内情は、薩摩長州土佐からなる自分勝手な政治のありよう・・・。松平春嶽様にしたら怒り心頭。会津への仕打ちは、かつて長州へなされた処分の意趣返しではないのか?という春嶽様に木戸さまが返して曰く、じゃから災いの根は絶たんにゃならん!岩倉様は、御叡慮じゃ!と、歯牙にもかけぬシガ二―ウィーバー!リプリ~~~!万事休すよ~!あなた方の国造りはゆがんでいると言い放って立ち去る春嶽様。この春嶽様の前においては、木戸様も岩倉様も小悪党みたいな雰囲気ですけど、小悪党だけに手におえないんだなあ、これが~。

 いくらなんでも酷い描きようだと絶賛話題の的の地下牢の覚馬兄様、破られても破られてもなおまた口述筆記の「管見」を・・・とうとう完成したっ!囚人の皆様も根負けして賛同してらっしゃる?時栄様に出来たてほやほやの管見を手渡すのを何も言わずに目こぼししている牢番の方!牢番までも折伏した~~~!!!いやいやいやいや、やればできるモノなんですねええ~え。
 牢屋の格子に累々とついていた手形!あれはやっぱり囚人たちの思いの強さ・・っていうか、覚馬兄様のへこたれない思いを表したものだったんでしょうかねええ。

 さて板垣様の大軍勢が迫る二本松!いやああ!予告編で見ていたあの悪夢がいよいよですかっ!会津への信義を貫く二本松!一歩も引かずに徹底抗戦ですけど!良いんですかこれ!未成年者への虐待じゃないんですか?ユネスコに怒られますよおおお~~~!
 ハンディカメラの揺れる映像。臨場感が迫る映像。何ともヘタレな少年兵たち、ばたばた倒れる!いつぞや八重様と交流したあのお子ちゃまたちがあああっ!畳を立てて発砲してますが、歯が立たない!若先生は生徒たちをかばって身を挺して撃たれた!ご本人はきっと覚悟の上の納得の死にざまなんでしょうけど、でも、二本松少年隊はどうなるのおおお!どうにもこうにもブルドックの戦力の差は歴然なり!
 でもでも、年端もいかない子供を殺せと母は産んだか?板垣様~~~!あ!撃たない!子供じゃないの・・・って見逃してくれた!さすがは板垣様、ですけど、いつぞやのダルマ少年の才二郎さま、若先生の敵だと抜刀して、そこに通りかかった別の隊が発砲!皆を率いていた二階堂先生までも倒れた!
 でもまだ見逃してくれようという感じの敵の隊長ですが、才二郎様なおも抗戦、八重様からもらったダルマ・・いまやつぶれて皮だけのダルマを取り出して、額に当てて勇気出せ勇気出せと自分を励まして、若先生の敵だと叫んでまたも抜刀!
 敵の隊長を刺しちゃった!隊長の言葉はよく聞き取れなかったけど、自分の子供だ見たいに言っていたのかしら?そして隊長様は、殺すなと叫んでらっしゃいましたけど、・・・いやあああ!やっぱり撃たれた!なんともはや惨たらしい!八重様の所為でも若先生の所為でもないんでしょうけど、やたら鉄砲なんか教えなければとおおおお!
 二本松落城の日、長岡城、新潟港も揃って官軍によって蹂躙されてしまったんだとか。ご家族にご存念を申し渡す頼母様。もはや生きながらえるおつもりはないような感じです。
 
 会津に逃げ込んできた二本松負傷兵の皆様。その中に八重様に見覚えのあるお顔が!しかも子ども!才二郎のダルマだと差し出す皮だけダルマ!この方・・・まだわずか13歳の徳次郎さまが絶命!死んじゃいげんってえうええええ!いやああ、こんなにいい仕事をなさるとは!やりましたねえ、ダルマ!いやいやいやいや、にしてもしかし、痛々しくって涙が出るわこれは。
 こんな子どもを・・・って悔し涙の八重様ですけど、こんな子どもに鉄砲教えていたのはあなたでしょう!?あ、これでいよいよ八重様は逃げるわけにはいかなくなったわけですね。真正面から命を投げ出して戦うしか生きる道が無くなったわけでしょう!ね!ね!
 いやあ・・「日本のジャンヌダルク」なんて感じにCMでは煽られてましたけど、きっとご本人にお尋ねしたら、なりたぐでなっだわげではねえよ?って一本釘を刺されたことでしょうねええ、シミジミ~。

 私の頭の中では、どおおしてこうなったーどおおおおしてこうなったーーーっていう狂乱のダンシングの狂い咲きでもう、涙が滂沱~~~!!

この記事へのコメント

2013年06月16日 20:47
悲劇へと突き進んでいく会津の様を見て、胸が締め付けられるようです・・・。
2013年06月16日 21:00
ryi様、こんばんは~。
私ももう、涙がちょちょぎれちゃってもう・・・
あまりにも悲しくて胃の中がツンと冷たくなる感じでして、はい~。
いやだ~、私は嫌だ~、ローティーンのお子ちゃまを兵隊にして戦争してバタバタ犠牲が出るような世の中はいやだああ!!!
これならまだほら、頼母様のおっしゃったように、ご家老の首を差し出して恭順した方がましだったような気がしちゃってもう・・・
麿呂
2013年06月17日 03:42
【参照】
二本松少年隊は凄い。というか【二本松藩の勇戦振り】には文句も出ない。
あの薩摩の名将野津道貫は二本松藩士の戦い振りを激賞して居るし【二本松戊辰少年隊記】で書かれている射撃戦も素晴らしい。惜しむらくは兵力が異常に少なく、折角の腕前も数の力で消えてしまっている事だろうか。少年は体力面から実戦には向かない事は事実だが、武器の使い方に先入観のある大人よりは先入観の無い少年兵の方が【西洋兵学】を抵抗なく覚えられるのだろうと思う。
因みにドラマでも描かれていたが、官軍の隊長が少年兵に襲われ命を落とすが、この隊長は死ぬ直前に「この様な少年に討たれるのは本望だ。(二本松の少年も)重傷の様だから労ってやれ。」と命じた逸話は地元に伝わっていて【二本松藩史】とかにも登場する有名な話である。

二本松少年隊の戦い
http://www10.plala.or.jp/yageki/nihonmatu.htm

二本松旅行記
http://www10.plala.or.jp/yageki/nihonmatu/nihonmatu.htm

来週はいよいよ【母成峠の戦い】で戦鬼土方歳三登場そして【会津白虎隊悲劇】。会津戦争最大の山場。
という事は大山弥助どんが八重にブチ撃たれるのも間近か!w。



麿呂
2013年06月17日 11:44
【補足】
とうとう会津の入り口・二本松に新政府軍が迫って来た。今回は白虎隊より一足早く二本松少年隊が倒れて行きます。中には八重達が「尚之助との旅」で出会った達磨をあげた少年成田才次郎もいましたね。白河城コースとは別に勿来(なこそ)の関から浜街道を通って会津を目指した新政府軍は途中、磐城平藩の平城(たいらじょう)を落とし、三春藩を吸収。其の勢いのまま7月29日には二本松に侵攻して来る。城内に残った重臣達は正午頃、自ら火を放ち自刃してしまう。この事は場外に居たおよそ40名の少年隊には伝わらず、其の上統率者を討たれた少年達は指揮する者も無く、散り散りとなって其れぞれの結末を迎える事となってしまう。中には彼らと出会った土佐藩兵が其の余りの幼さに驚き、何とか生け捕りにしようとするが、抵抗が激しく止むなく討った…という話も残っている。
何とも切ない話です(涙)。


赤べこ
2013年06月17日 15:18
真田さま お久しぶりです。
二本松少年隊、悲惨でしたね(涙)
次はいよいよ白虎隊ですか…。
だんだん観るのもキツくなってまいりましたね。
ところで。
頼母さま、史実では「容保さまの首を出しましょう♡」って提案して、孤立したのではなかったでしょうか?
白河城も頼母さまの指揮が本当にダメダメで失ったはずです。実戦の経験もないのに、修羅場経験豊富な歳ちゃんのアドバイスをあっさり退けボロ負け。容さまお気に入りの秀才イケメン・横山主税副総督もここで戦死。首脳部としては「おまえが言うなよ!」的な空気だったのではないかと…(大河でもちょっとそんな感じだったかも)。
2013年06月17日 16:57
麿呂様、こんにちは~。
今回のドラマ以上の勇猛な少年部隊だったわけですね、二本松少年隊。
それでも白虎隊の陰に隠れてしまっている感があるのはネーミングの差があるんじゃないですかねえ。
白虎隊!新撰組!ね、かっこいい名前じゃないですか。今さらながら会津藩のセンスの良さを再認識~。
にしても才次郎様、自ら死を選んだみたいな成り行きで・・。子供だから見逃してもらえるのを拒否して誇り高き結末を選んだ魂の気高さも見てあげるべきだったような気がしてまいりました(汗)
2013年06月17日 17:05
赤べこ様、お久しぶりこんにちは~。
刀も抜けないほど小さい子供を戦に駆り出した時点で負けは確定でしょうねえ。
重臣の皆様が戦いに命を差し出す覚悟なら、無用な戦いを回避するために首を差し出せってのもそうむちゃな要求ではないとも思われ・・。
でもまあ頼母様の立場で殿の首をって言っちゃったらやっぱり孤立しますよねえ~。
っていうかそもそも実戦の経験のない頼母様をあんな重要なところの指揮官にされた所がやっぱり無理だったのではないかと。
官兵衛様、大蔵様、頼母様・・・と並べたらやっぱり、経験値も年齢的にも無理っぽいなあって。
麿呂
2013年06月18日 10:08
【参照記事】
(其の1)
戊辰戦争に於いて、幕臣達の不満の第一は薩長といった倒幕派が徳川に朝敵のレッテルを貼り討伐しようとした事だろう。
しかし、薩長は外様であり関ヶ原合戦の時より徳川幕府にとっての【仮想敵】でもあった。幕府の力が弱くなり、薩長といった外様大名雄藩が台頭して来た現状に於いて、仮想敵であった薩長が徳川家に戦いを挑んでくる事は幕臣達もある程度納得出来る事でもある。例え薩長らが幕府を倒そうとしても幕府はそう簡単には倒せない。関ヶ原合戦以降、徳川家康をはじめ其の様な事態に備え、譜代大名を日本各地の要衝に配置してある。中でも東海道は重点的に譜代大名や親藩の所領を配置してあった。中山道も同様だ。例え西国で倒幕軍が起ころうとも、これらの街道沿いで譜代大名達が一丸となって戦えば、そう簡単には江戸城には達しない。
ところが、いざ戊辰戦争が起こった時、これらの防御網が全くこれっぽっちも作動しなかった。江戸に居た幕臣達は、これに対して大きな不満を抱いている。例えば、遊撃隊の人見勝太郎や伊庭八郎らは、薩長は兎も角この様な不甲斐ない譜代大名達の尻を叩き、且つ又、薩長に与して徳川家に刃を向けた譜代大名に鉄槌を下すべく立ち上がって居る。
人見寧履歴書・遊撃隊起終禄

何故、譜代大名達は徳川家の為に立ち上がり、薩長を中心とする倒幕派に武力を持って戦わなかったのか?其の武士道精神を「武士道論」と絡めながら考えていきたいと思う。
麿呂
2013年06月18日 10:45
【参照記事】
(其の2)
先ずは駿河田中藩の様子を見てみよう。
以下『田中藩叢書(大房暁編・藤枝市郷土博物館発行』から史料『石井順斎とその子頼水』から該当部分を抜粋しよう。

順逆についても藩論は又中々、難しかったそうでございます。藩士の多くは三百年来幕府の恩という説でございます。薩長軍をこの要害で食い止めよう。さすれば其の内に味方は続いて起こる。如何で江戸城を敵手に渡すべき、という論者が多く、祖父取立ての軍学師範恩田先生等は真っ先にこの論者で早くも濠へ水を湛えさせ、武具を手入れして、専ら防戦の用意怠りない、という大の猛烈振りで、父は日夜苦心して考えたそうでございます。
祖父が大諸侯の招聘を辞して、小禄に甘んじたのも妻子を犠牲にして、困苦して王道順逆を説いたのも皆、今日あるを予期しての事でございます。今其の素志に背いて此処で防戦は出来ない。薩長と幕府との争いなれば勿論、佐幕開港論だが、卑しくも王師官軍とあっては申したのでございます。
総督には恐れ多くも特に宮様が立たせ給うのである。攘夷という事は、この先き覚束ない事で必ず論議は豹変の時があるのであろうが我々の徒の説く所は普天の下、卒士の浜に王道を説く身である。この頃の幕府の有様は憂慮に堪えない。幕府の倒るるのは幕府自ら滅するのだ。君家と申しては幕府に対する情誼は捨て難いが、今此処で王師に抗したとて幕府の弊害はとみに改まる見込みもない。今この地に兵を用いて市民を殺戮するのも愍然である。王師に抗して君公に不臣の名を着せ参らすべきでない。何と苦しんで躊躇して居る事かと断然防戦不同意の志を決しました。この時には京都でも皆、幕府を倒すという説のみでなく、一般薩長と申して居るので議論は中々喧しかったのでございます。
(中略)

麿呂
2013年06月18日 10:53
【参照記事】
(其の3)
父などは意見発表を愚図愚図して居ったのは如何にも二心を抱く様でございますが、自分には議論は確立して居るのでございますが、早く発表すれば主義主義で夢中になって居るので、忽ち同士討ちが始まる恐れがございます。よんどころなしにある限りの侮辱を忍んで事急に至って端的に藩論を定めたのでございます。
亀井城(駿州田中城)の事は誰もあまり論じません様でございますが、この城の後背は中々官軍の方でも頭痛に病んで居たものだと申しました。
又、父が申しました。人という者は何事にも表裏はあるが、戦うという時に迄、外見を繕うを言うから不思議だ。全く口でいう事は頼みにならぬ。この時は主戦だと公然言っておきながら、夜分にそっと訪うて来て、先生思召は如何と一体何と致したものでございましよう。私は主戦へお味方は致して居りますが、実は妻子の者も愍然でございますからと臆面もなく言い出す者が、随分あったが、あの様な者を率いて戦争すれば少しく旗色が悪くなれば何をしでかすか判ったものでない。億兆の心は億兆とはよくも言い得た語である。表面は実に立派で強勇に見かけられても妻子と妻子に名を借りて二股にかえて居る。
幕府が倒れるのも不思議ではない。其れを思えば、太平の場合に美人の妻や只一人の男の子迄を犠牲にして顧みなかった父は、身をもって教ゆる実に得難い篤学の人であったと涙を催しました。

この史料を書いたのは益頭賢女と呼ばれる人物で、石井頼水の後妻或いは娘など諸説あって判然としない人物である。記録自体は石井家の功績を後世に語り継ぐ為に祖父や父から聞かされてきた事を思い出しながら書き綴ったもので、典型的な二次史料という事になる。この為、二次史料特有の着色された自慢話や皇国史観的な解釈が見られる。元より信憑性に関しては入念な史料批判が必要な史料だと思う。



麿呂
2013年06月18日 11:03
【参照記事】
(其の4)
石井家は儒家の家柄として駿府田中藩に属した。其れこそ頼三樹三郎といった水戸学派とも交友が深く、水戸学の影響も強く受けている。皇国史観の観点が史料から窺えるのはこの為でだろうと思われる。明治政府に対しては維新後の政治に対して酷く批判的な論が展開されており、あまり良い印象では無い様だ。

さて、では駿州譜代田中藩が明治政府に素直に従った理由はこの史料から読み取れる。自慢の気が強いので、多少割り引いて考えなければならないものの、おおよそ【理由がどうであれ官軍には逆らえない】という論理である。これは儒家或いは水戸学に精通した者ならば、共通したものであったろうと思う。儒学(朱子学)は、聖人君子を目指す道徳色の濃い学問であり【特に分を超えてはならない】という名分論の学問でもある。武士は天皇に逆らってはならない。水戸学ではこれがもっと強烈に主張されてくる。
つまり、争点は【薩長は悪か善か】という問題では無く【天皇に逆らうか否か】という事が問題だったのだ。実はこれは武士の忠義の在り方にも直結した問題でもあった。

麿呂
2013年06月18日 11:19
【参照記事】
(其の5)
【幕藩体制の武士の忠義】は以前にも説明した事があるが【天皇-将軍-大名-藩士】という一本のラインになって居る。藩士は主君大名に忠勤し、大名は将軍に忠勤し、将軍は天皇に忠勤する。故に藩士の主君大名への忠勤は間接的に日本の王たる天皇への忠勤であると。これが【尊王論】だ。佐幕派の尊皇の論理がこれであり、佐幕だから尊皇思想は無い等という事はあり得ない。
佐幕思想の持ち主は皆尊皇なのである。これが当時の忠義の在り方だった。従って天皇に逆らってしまう事は全ての論理が崩壊してしまう。天皇に逆らうのならば己の主君に忠義を働く意味は無く、下克上の戦国時代よろしく謀反を起こしても構わないという事になり、何が善で何が悪か判らなくなってしまうのだ。従って徳川家の為に譜代大名家として戦う事は善としても其れは【天皇以外に】限られる。

戊辰戦争では薩長が天皇を取り込んで官軍になってしまって居るから徳川の為に戦おうとしても道理が立たなくなってしまうのだ。
【官軍には絶対に逆らえないという論理】が儒学や水戸学によって【江戸時代の常識】になって居たのである。
此処に譜代大名達が【戦わ無かった】理由の一端を見る事が出来るのではないだろうか?。



麿呂
2013年06月18日 11:28
【参照記事】
(其の6)
但し、これはあくまでも学問であり、道徳である。
守か否かは本人次第という事になる。だから、建前と本音とに分かれる事になるのだが、この建前の本音に関して前掲書から其の様子が読み取れて面白い。

田中藩主戦派の多くが口は立派だが内心では戦いたくないという。
其の実像がどの程度本当だったのかの点は議論の余地が多くあるが、少なからず理由がどうであれ戦いたくないというのは、人間本来の姿でもあったろうと思う。
「武士が戦いで華々しく死ぬのは良い。でも、残された妻子の事を考えると一家の大黒柱として、そう簡単には死ねないですよぉっ!!」という気持ちは妻子持ちの旦那さんには良くお解りなのでは無いだろうか?

そんな訳で「戦わなかった=臆病者・不忠者」という単純な戊辰戦争の武士道観には異を唱えたい。 

麿呂
2013年06月18日 11:45
【二本松少年隊悲劇補足コメント】
子供達は次世代(このドラマでは明治)の宝(人材)として絶対に生かすべきでした。
二本松藩も藩主達は先に米沢藩に非難して…何かやりきれない思いで一杯になりました。
でも又この国は似た様な事(神風特攻隊)をやっちゃうんですよねぇ。
(怒)(泣)(涙)

2013年06月18日 19:42
麿呂様、恐れながらお願いいたします。
コメントが随分長く、また私の記事へのコメントではなくなっているように思います。
随分有意義で面白い事を書いてくださっていますし、それは是非ご自分のブログで展開していただいて、トラバ等でお誘いいただければと存じます。
どうかよろしくご考慮のほど、お願いいたします。
鹿二郎
2013年06月18日 22:58
こんばんは。
何か、白河総督の西郷様と、会津藩首脳部の状況認識にギャップが出てきてますね。精神力で戦えるほど、近代戦は甘くない。と、西郷様は言いたかったような。
 二本松少年隊の諸士も奮戦したようですが、いかんせんスナイドル銃にゲベール銃では・・
おまけに、当時の小柄な12・3歳の少年達が扱うにはゲベール銃は大きすぎて、機動的でもありません。
 近代戦は兵員・兵器の質が物を言います。
 白川口の戦いでは、会津軍2700人に対し、政府軍700人だったそうですから、時間稼ぎにしかならない、少年隊の投入は避けるべきだったかと。

最後に、やはり覚馬様のシーンは、相変わらず史実無視の脚本で・・
 管見は西郷さんや、薩摩国父島津久光、薩摩藩主島津忠義公にも提出されて評価されてる文書です。牢番が邪魔しますか!! 
鹿二郎
2013年06月19日 19:03
追伸
こんばんは。
うるおぼえで、忘れてたのですが、会津の古い隊の新撰組って、もともと会津藩主の男色の相手も勤めてた集団のことじゃなかったでしたか?笑
2013年06月19日 20:29
鹿二郎様、こんばんは~。
なんと申しますか、これまでのいきさつからして頼母様は孤立しがちな描写でしたしねえ~。
歴史においてタラレバガツはホ~ルモンですけど、もう少し早く軍制改革をしていたらと悔やまれてなりませぬ。
二本松少年隊の皆様の魂は健気で気高く、もって手本としたいくらいな勢いですけど、戦争をするうえでこれはないよなあって私も思ってしまいました。
覚馬兄様のシーンはwこのドラマ内でもちょっと不自然さがw役者の方の魂の熱演があるから気にならなかったですけど、冷静に振り返ると随分苦しい事になってましたよねええ、確かに~。
どわああああ!そんな意味もあったんですか!新撰組!だったら歳ちゃん総司、近藤さんの奈落の底の・・・あ、いえ、なんでもございませんっ!ちょっとその、妄想もう止そうが・・・(汗)

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